2024-07-31

『コンビニ人間』を読んだ

読んだの2,3週間前だけど。 自分は物語の運びや表現について感想を表すのが得意ではないのでもとよりその気はない。自分が本を読んでる間に考えたことを書きたくなったためこの記事を書くことにした。

まず明らかにしたいのはこの本を読もうと思った理由は「芥川賞受賞作品だから」ではない。(とはいえこの本を知った理由は「芥川受賞作品だから」にほかならない。)

この本を読もうと思った理由はなんとなく。といえばそれまでなのだが強いて言えば「コンビニで働いている人の話」が話題になる理由に少し興味があった。もし自分が現実にそのような人の話を聞く機会があっても興味を惹かれないだろうし、自分にとってコンビニは変化に乏しくそこに語るほどの物語は無い気がするし、あと話題だし。芥川賞だし。結局芥川賞受賞作だからじゃないか!

物語に沿って感想を書く気はなかったが、物語について紹介しておかなければ始まらない気もするので、とりあえずあらすじの一部を引用する。

36歳未婚女性、古倉恵子。 大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
(中略)
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
現代の実存を問い、正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。

引用元: 「普通」とは何か? 価値観を揺さぶる衝撃作『コンビニ人間』村田沙耶香 | 単行本 - 文藝春秋

36歳未婚女性。っていうのがパンチのある属性として紹介されているのがちょっと面白い。36歳で未婚って普通じゃないのか?とりあえず物語中では「36歳未婚でこれまで彼氏なし」は異常な扱いを受けていた。多分普通じゃないのだろう。

この物語の主人公である古倉恵子の幼少期は所謂「変わった子」であったことが物語冒頭で明かされる。死んでいた小鳥を「(父の好きな)焼き鳥にしよう」といったり、ヒステリックに陥った先生のパンツを下ろしたり、うーん確かに変わった子だなと思わせるエピソードがいくつかある。青年期になるにつれて家族や周囲から「普通」を期待されていることを知ってからは他の人を真似するなどして普通に振る舞うように努めるようになる。
自分だったら「普通に振る舞え」という周囲の要求は理不尽に感じるだろうし、一種の抑圧だと思うだろう。無論抵抗もするはずだ。だが「普通」を求められる古倉恵子からはそういった抑圧への反骨心や不快感は微塵も感じられない。自分はそこに人間味のなさというか、それ自体が普通でないように感じた。(ただし作品全体を通して彼女が「人間味がない」とは思わなかった)

作品全体を見ても恵子から真に不快感を読み取れたのは、彼女がいっとき共に働いていた白羽と、「お互いの都合」のために同居しているのがコンビニで働くの他の従業員の前で明るみに出たときだ。キャンペーン中の商品を売らなければいけなく、そのためにバイトメンバー一丸となって進めていたはずなのに、恵子にとっては恐らくどうでもいい白羽絡みの身も蓋もない話題でみんなが話をエスカレートさせていき、それに対して恵子がはじめて感情的に叫ぶシーンが登場する。

その後、恵子が「男と同居している」という事実を周囲に話すたびに先と同様に周囲が勝手に話題を膨らませてくるのだが、先述のコンビニの場面以外で彼女は不快感を呈していない。自分は、彼女がコンビニという自身がその一部としてコントロールできる場所がコントロール不能な様に変容していくのが嫌だったのではないかと思った。

飽きたのでこの辺で一旦筆を走らせるのをやめます。またこの記事更新するかも。